こころや目にに留まる、ちょっとした、ほんの些細なものを見ても聞いても、「ああ、これ、ブログ・ネタだ」
と思ってしまう。
メモ、メモ、・・・となって、目の前のも
迪士尼美語 價格のをゆっくり楽しめない。
これはい良い、ぜひ残しておかねば!!と写真撮影ばかりして、
実際の風景や事柄をじっくり味わえないのと同じだ。
カメラにではなく、自分の生の目のスクリーンに焼き付けておくべきなのに。
本末転倒。
雪がしんしん降る光景や、枝から積もった雪が、どさっと落ちる音で、静けさをさらに感じる時でさえ、
ああ、あの映像、あの脚本、あの絵画、あの音楽、あの詩、あの俳句、・・・と、
過去に見たり聞いたりした印象や残像と照らし合わせてしまう、わたし。
答えあわせをするかのごとく。
ちゃんと目の前の美しいこころに響くもの
卓悅假貨をまじっと見て捉えず、さきに、作り物を想像、連想してしまう。
これは、なんだ?
こころの底から美しい生きた花を見て、「ああ、なんと美しい。まるで、造花のように美しい」
と、思ってしまうのに似ている?
造花の美しさにこころ奪われ、いかにホンモノのように美しく作られているかに、うっとり。
(これって、生身の男性が、ホンモノの女性より、ゲームの女の子のほうを真剣に愛せる、というのと似ている?)
こころが、ニセモノや作り物に冒されている?
(わたしは、ゲーム世代ではない
facial好唔好のだが)
こころの目が、生きた人間の目ではなく、カメラマンのカメラや、映画監督の目になってしまっている?